旅する女のラプソディー

20代をニューヨークで生き、離婚して帰国、環境問題に目覚めたシングルマザーの子連れアメリカ留学。40歳で大学卒業、45歳で大学院卒業、55歳で妊娠、出産。科学を愛し、旅をつづける女の半生、高齢出産やナサ(NASA)での仕事、アメリカ暮らしのあれこれなど、など

四畳半

最近、ふと 思い出す

四畳半から始まったわたしの青春

 

蕨の駅から歩いて15分

チカンに注意の看板があちこちにあった

寄り合いアパートの2階

四畳半で始まったわたしの青春

 

睦み合う 意味もわからないまま

愛した男は 剣道四段

赤ちょうちん の歌なんて、ほんとすぎた

 

きれいに洗うんだよ って

わたしに言った 男

 

睦み合う 四畳半

窓の外には 真っ赤に熟れた柿

 

キャベツはかじってなかったけど

夜中のすかいらーくのハンバーグ

 

寄り合いアパートの 二階

共同トイレ の

四畳半

あれは 恋 だったのか

 

十八から二十歳までの 

四畳半で 始まった

わたしの 青春

 

 

 

 

父と娘の旅

 

娘が6歳の時に引き裂かれた父と

40歳になり、3人の子を持ち働くシングルママになった娘

娘は父に連絡をとり、父はそれに答えた

3泊4日の父と娘の再会の旅

娘と父はどんな話をしたんだろう

なぜ、母は父と離婚したのか、という

長い間抱えてきた疑問を解くためか

6歳で父と別れなければならなかった娘は

いったい三十何年ぶりに娘として会った彼女は

いったい何を聴いたのだろうか。

父はすっかり他人となって暮らしてきた娘

すっかり大人になって、子供も持ち、離婚もした

40代の娘に何を話したのか

四国の山々を巡って、美しく澄んだ水、川の流れを眺めながら

いったい二人は何を話したんだろうか

父と娘にとって埋めることのできない何十年の時を

3泊4日の旅は これから繋がっていける

素敵な始まりとなっただろうか

二人は

父にとっても不可解で

娘にとっても不可解な、

なぜ 母は6歳の娘を父から引き離し

離婚したのか

そのことについて話し合っただろうか

四国の山の上 グランピングのキャンプファイヤーの火を見つめながら

美味しい 冷たいビールを飲みながら

父は元、妻について

娘は 母について

いろいろ文句を言い合ったのかもしれない

 

母には

その元夫、娘の父から

「娘を良い子に育ててくれてありがとう」

とラインでメッセージが届いた

良かった

これで、みんな繋がったね

 

だいじょうぶ。

 

私は娘に

「ありがとう」と言わなきゃ、ね。

 

 

 

 

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地熱利用 ロシアや中東にたよらないエネルギー革命をみんなで

 

ロシアのぷーちんのあたまがちょっとおかしいということはおいておいて。

 

わたしたちひとりひとりでできることをかんがえよう。

ヒートポンプと地熱をつかって灯油や電気、ガスなどの輸入エネルギーからの脱却を図れる。

 

いま、起きている、いや、一方的に起こされている戦争はぷーちんのパワーマンガー(力を牛耳りたい)世界を支配したいという19世紀的な欲望と

ロシアが世界のエネルギー供給をかなりの割合で担っていること、また、小麦などの主食(staple foods)の輸出が第一位だったりすることにたよっている。

 

だったら、地熱利用でエネルギー革命を起こそうよ。

日本の食料自給率が低いのはいまのところなんともならないとしても、せめてエネルギーを他国にたよらない、国の政策にたよらない、

「自分ちのエネルギーは自分ちで」

屋根にはソーラーパネル太陽光発電)、床は地熱利用の床暖房

個人の家でできることをみんながやれば、原子力発電からも脱却できる。

東京電力なんていう、電力供給グリッドにたよらない

「自分ちのエネルギーは自分ちで」は

可能なのだ。

 

わたしは今、猛烈に勉強して

効果的で効率の良いヒートポンプの開発をめざしている。

日本は火山国であり、地熱利用をもっと推奨すべきで

ある程度の地震にも耐えうるサブシステムをもった地熱利用ヒートポンプを開発したい。

 

コスパをあげるには

穴を掘る費用をなんとかしなければならない。

地中熱利用|再エネとは|なっとく!再生可能エネルギー

 

この深く掘らなければならないところをなんとかできれば設置にかかるコストダウンが可能になるはず。

 

うちの台所には朝陽が差し込む

なんて熱いんだろう。

太陽光と地熱

自然はわたしたちに

すでに与えてくれている。

利用する方法を考え出せばいいだけなのだ。

 

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地球は大丈夫、でも人間は生き残れないかも。

 

*.xl

地球上で起きている大変なこと

毎日聞こえてくる。

地球が悲鳴をあげているのではなくて

地球が人間たちに送ってくるメッセージ

早くなんとかしないと、人間たちは生き残れないぞって。

以前、塾をやっていたころ、

子供達にいつも描いてみせた図がある

まあ〜るい地球に

動物たち    森、 林

植物たち    虫たち

海       魚やクジラ

ビルや工場

そしてヒト

森がなくなると、動物たちもいなくなる

虫もいなくなる

森がないと二酸化炭素がいっぱい増えて

温暖化がもっともっと進む

魚はヒトが食べるためにたくさんとってしまってもうすぐ海には魚がいなくなる。

クジラやイルカ、ウミガメが漁のための網に絡まって死んでしまっている

サメのお腹の中からも私たちの捨てたプラスチックゴミ

細かく砕けたプラスチックは今ではミクロのサイズになって海に

そして空気中に浮いている その数は宇宙の星にもとどく

魚のいない海は人間の望んでいるようなエコシステムを保てない。

カリフォルニアの昆布の森も絶滅の危機

昆布の森がないとウニもお腹をすかし、ラッコも住むところがない

陸上ではヒトが食べるための牛を育てるために

たくさんの土地を使い

たくさんの水を使い

水がないので川から 湖から水を引いて

川もカラカラ、湖も干上がる

もうすぐ美味しい牛肉も食べれなくなる。

もうすぐ美味しい寿司も食べれなくなる。

水がないと田んぼも干上がってお米も作れない。

地上は海にのまれ

高層ビルだけが いちめん海と化した 水面から突き出ている

それが地球のシンボルになる日も遠くない

でも だいじょうぶ

ほら、地球からヒトが消えても

なんてことはない

動物なんかいなくなったって大丈夫

だって、地球はまた最初から始められる

地球の生命の誕生の時に生きていた古細菌バクテリアたちは

まだ、ほ〜〜ら、

あそこにもここにも

少しずつ長い時間をかけて酸素を作り出したり

多細胞になったり

新たな進化の始まり

絶滅は一瞬のこと

進化は地質学的、天文学的時間だ

今度、もしヒトのようなものが進化するときは

どうかもっと賢く進化できますように。

 

 

 

 

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風通信 子連れアメリカ留学 プロローグ(序章)

 

離婚して子供を連れてニューヨークから帰ったわたしは生活のメドがたってこころに余裕ができると、東京の(入試がなくてお金を出せば通える)大学の一般人コースに通い始めた。

黒磯駅から東京までだいたい4時間かかる鈍行(各駅停車)に乗って東京の早稲田大学のオープンコースで日本語教育の勉強などしてみた。日本語教師になろうと思って。

けれど、日本語教育能力検定試験には2度落ちて、3度目の勝負も落ちて 諦めた。

日本語は日本で生まれて気づかないうちに喋れるようになって、普段ちゃんと世間とコミュニケーションもとれているのに、外国の方に教えるとなると、かなり難しい言語なのだ。

うちの本棚の隅に残っていた日本語教育能力検定試験、傾向と対策などという本をちょっとめくってみたら、かなり勉強した後が残っているのだけれど、

なんとも、むずかしい。

言語学的に日本語を勉強するとなるとただ日本人というだけではとっても足りない。ヒアリングなどはかなりチンプンカンプンだった。英語のヒアリングもあまり得意でない。

耳から入ってくる音を言葉として理解するのには大変な努力と聞き取り訓練がいるのだ。

わたしのアメリカ人の夫も 

わたしと娘が日本語で話しているのを聞いていて トンチンカンなことを言って会話に参加してくる

私たちの会話を50%も理解できていない 

これはヒアリングができていないからなのだ。

わたしと娘は必死に笑いをこらえて 彼の並々ならない努力を認めてあげるのだ。

 

1990年代バブル好調期の日本では、巨大資本を持った商社が那須の山を崩してスキー場を作るという計画を練っていた。

昭和天皇にも負けないくらいこよなく那須の自然を愛するわたしは親しい友人や那須の文化人、黒磯市の著名な政治家と共に立ち上がった。

那須の自然を壊してはいけない」かくして

那須の自然を守る会」ができ わたしも

わたしにできることをやった。

 

スキー場ができるという場所は国が定めてずっと守ってきた「水源涵養保安林」なのだ。

那須の水源涵養保安林はブナやミズナラなどの大木が深く根を張って急な斜面の土砂を抱え込んで、降った雨をすっぽりと吸い込み、たっぷりとたたえて、やがてこの水は清水や清流となってゆっくりと那須野が原を潤すのだ。

土砂崩れを防ぎ、農地用水として戦後の那須野が原の発展を支えてきた山であり森なのだ。

それを崩すと言うのだ。木を切り倒してスキー場を作ると。

現在のマウントジーンズがそれだ。

わたしは1998年に起きた余笹川の水害はマウントジーンズのために木を切り山を崩したためだと思っている。

論文を見つけた。

京都大学防災研究所の上野哲夫教授が防災的、科学的見地から22ページにも及ぶ論文を書かれているが、国が水源涵養保安林の山を売っぱらって、リゾート会社が山を崩してスキー場にしたことには全く触れていない。

*1

 

この「那須の自然を守る会」の活動でわたしが悟ったことがあった。

「主婦」の意見など誰も聞いてくれない 

ということだ。

それで環境科学や環境保護の勉強がしたいと思ったのだが、

日本ではとても大学へなど入れない。当時環境関係の学部があったのは北海道大学だけで入学試験に受からないと入れない日本の教育システムではわたしにはとっても無理。

若い人たちが青春の2、3年を費やして受験勉強してやっと入れる大学へなど。

ドイツへの留学も考えた。ドイツでは大学教育は外国人にも門戸が開いていて、しかも無料で教育が受けられると聞いたからだ。だけどわたしはドイツ語は喋れない。それに12 歳になったばかりの娘と6歳の犬と、ドイツ語も話せないシングルマザーの身ではドイツはあまりにも無茶な話。

やはり、アメリカ。

アメリカに留学したのは日本ではとても大学になどいけるはずもなかったから。

ラッキーなことに わたしはまだアメリカのグリーンカードを持っていた。

 

幸い1980年代のグリーンカードには期限切れがない。

1982年の最初の渡米から4年後の1986年には最初の夫(日本人)がタイル職人だったので、 グリーンカードはすぐ取れた。

当時ニューヨークでは、たとえ素人でも日本人というだけで大工や左官、車の修理など、仕事はいくらでもあった。日本人は器用で真面目だから。

1986年に取れたグリーンカードには有効期限切れというものがなかった。

日本に帰国して6年が経っていたけれどグリーンカードがまだある。

わたしはアメリカ大使館に掛け合って、「娘にはぜひアメリカで教育を」などと訴えて、再入国の 許可をとった。

ただし条件つきで。

条件とは、 米国の社会福祉制度の恩恵(つまりはフード スタンプやメディケアなど)を3年以上は受けないこと。入国時に最低百万円(10k ドル) を所持することというものであった。

ふところに百万円を持ち娘と犬のケンケンを伴って、忘れもしない、7 月 7 日、七夕の日、ロス経由でわたしたちはワシントン州にあるシータ ック空港に降り立った。

目標はオリンピア市にあるエヴァグリーン大学で環境科学の勉強をすること。

この大学は以前、「発展途上国 における女性と環境」というコースを聴講させてもらったアジア学院勤務のアメリカ人の 先生から教えてもらった。

「かなりリベラルな ことで有名で、環境問題ならここが一番」と 勧められて、迷わず決めたのだった。

州立大学のエヴァグリーン大学には地元に 1 年間住めば、 ワシントン州の住民としての学費で入れることが判り、1 年間待つことに。この頃住民としての学費が確か、年間約30万円だった。30万ならなんとかなるだろう。

エヴァグリーン大学のあるオリンピアはとても静かで安全な街と先生から聞いていたので、 娘を通わせる中学校の近くにアパートを見つけた。

やっと落ち着いたワンベッドルームのアパート、ターゲット(アメリカのどこにでもあるデパート)で買った安物のテーブルと椅子でカップラーメンを食べた最初の夜のことを娘が今でも覚えている。

百万円の所持金とフードスタンプのお世話になりながら職探し。

木々の葉が色づきはじめた 11 月も半ば、ある会社の輸出入コーデ ィネーターとして仕事が決まり、クリスマスを暖かく過ごせることになった。

シアトルの南に位置するオリンピア市は、冬は寒くなく、夏は暑くなく、とても過ごしやい。州都ということもあって、程良く文化施設も整っていて、小さいけれどアジア系の食品店もあ り、それからの 6 年間、わたしたちは快適に暮らすことができた。

とはいっても、娘にと っては大変な時期がしばらく続く。アメリカで生まれたとはいえ、6歳で帰国し、お漬物が大好きで日本語も達者になり、すっかり日本の生活になじんだところで、また渡米。ということで、英語はネイティブのようにはいかなかった。

セブンスグレード(中学 1 年) の半年間は第二外国語としての英語クラスに 入れられてベトナムラオス、タイなどのクラスメートたちと英語を習わなければならず、日本人は彼女一人だけだったので、かなり寂しい思いをしたらしい。

クラスメートがみんなそれぞれの母国語で喋っているなか、ひとり黙々と勉強したんだろう。

当時ワシントン州では東南アジアからの難民の受け入れが盛んで、彼女が通った中学校の4分の 1くらいの学生がアジア系だった。

わたしはタイピングができたので職業安定所のようなところへ行ってどのくらい早くタイプできるかとかのテストを受けて職探しの登録をした。

この辺りのことは

*2

1 年後、無事にワシントン州の住民 としてエヴァグリーン大学に入学、パートタ イムで環境とエネルギーというコースをとっ て環境アセスメントや老朽化のすすむ水力発電ダム問題、シアン化物に汚染された金鉱山周辺の環境問題、またバイオガスや燃料電池などの代替エネルギーについて学んだ。次の年には仕事を辞め、ついにフルタイムの学生になった。

この年、「マター アンド モー ション(Matter & Motion)」という物理と化学が一緒になって、根本的に物の理を熱力学やニュートン力学を通して網羅しようというコースで、わたしは熱力学に恋してしまう。

エネルギーはまるで水のように 高いところから、低いところへと流れる。

そして生物の生命活動はなぜか、この高きから低きへという法則に逆らって 秩序を構築している。

なんてことに思いを馳せるとワクワクした。

その後、実験プロ ジェクトで熱力学と電気を利用して水をつくる装置を開発。しかし、水をつくるというよ りは除湿機になってしまった。

エヴァグリーン大学はいろいろな面でユニー クな大学である。まず、点数制の評価システムを持たない。評価法はナレイティブ エヴ ァリュエーション(narrative evaluation) と呼ばれ、自分による自身の評価レポートと、 教授による評価を加えたものを最終評価とする。

点数やアルファベット1文字で表される評価と違って、その評価には結果や達成した事柄だけではなく、どうやって学んだか、何を学んだか、

何を苦労したかなどの過程が盛り込まれ、また 教授の心証も著わされる。

学科コースはすべて学際式(Interdisciplinary)で、2 つ以上の学問を合わせて 1 つのコースができており、総合的な学問が学べるようになっている。

さらに、エヴァグリーンは超リベラルなことで有名で、わたしの卒業式のスピーチは漫画シンプソンの作者マット・グローニン グが行ったが、なんと前年のスピーチは、牢獄から死刑囚であるムミア・アブ・ハマル(アフリカン・アメリカン)が 卒業生に向かって人類の平等を訴えるというもので、正否両論、大変な卒業式になった。 アブ・ハマルは政治運動家で、ラジオジャー ナリストでもあったが、1981 年に起きた警察官の殺人傷害事件の犯人として有罪死刑判決 を受けた。その後、2001 年に死刑判決は破棄されたものの、いまなお投獄の身にあり冤罪ではないかとされているが、まだはっきり していないのが実情である。アメリカでは白人警官による黒人少年の殺害、またその逆の事件などが多数起きていて、アメリカの人種による分断はさらに激しさをましている。

人類の平等は遠い夢のようである。

さて、わたしのこと。

文化多様性奨学金とい うのがあって、それを無事に2年間いただいて、連邦政府が出してくれるグラント(補助金)や学生ローンで生活も安定し、フードスタンプは 1 年半お世話になっただけで、つましいけれど、 親子二人と犬 1 匹、なんとか生活できた。

クリントン政権の時代であったこともあり、ワ ークスタディといって、将来仕事につながるような勉強にはお金をくれた時代だった。 地球科学とエネルギー(Energy and Earth) というコースを取ったとき、ズィータ(Zita) 博士に出会う。

この出会いがわたしを環境問題からさらに物理の奥深く、謎めいた世界へと誘ってしまった。ズィータ 博士の出す問題は面白いものばかりで、 夏の空にうかぶ積乱雲からエネルギーを抽出 するための式を考えたり、海の波の力で発電する仕組みを考えたり。

高校の時、数学で赤点(30点以下)しかとったことのないわたしにとって、数学は使える面白い道具となり、「科学的な物の考え方」を学んだ。その後、天文とコスモロジーというコースで特殊・一般相対性理論宇宙論と学んで、科学の面白さにのめりこんだ。

この時、1996年、火星隕石に生命の化石が発見されたという報道があり、大統領のクリントンが「火星に生命の痕跡発見」という声明を発表し、科学会は大騒ぎに。

エヴァグリーンにはインディペンデントコー スというのがある。これは自分でカリキュラムプランを立て、サポートしてくれる教授さえ見つかれば手前勝手なコースを作れるというこで、さっそくわたしは、電子顕微鏡の訓練と微生物学を学べるコースを立案し、サポートしてくれる教授もゲットして、アストロバイオロジー・ ア・ラ・アダチと言うコースを発足。

アストロバイオロジーとはつまり、宇宙生物学、これまでエクソバイオロジー地球外生物学)と呼ばれてきた分野が新たに名前を変えてアストロバイオロジーとなったのだった。

微生物学では生物学の基本も学び、バクテリアの培養、乾燥、保存法ならびに電子顕微鏡による観察なども網羅した。

もちろんテストや宿題はあったけれど、プレゼンテーション(発表)とディスカッション(討論)を重視したコースワークと少人数 (25 名)のクラス編成で、学期末には必ずパワーポイントかポスターでのプレゼンテーション(発表)を行い、研究者としてやっていくための、あるいは人生の達人となるための訓練を受けた。

さて、卒業して大学院に進むのだが、それは また第2部で。

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エヴァグリーン大学卒業式 娘のアンと。

 

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*1:余笹がわの水害:

https://www.dpri.kyoto-u.ac.jp/nenpo/no46/46b0/a46b0t54.pdf

*2:風つうしん 復活で:

nasunokaze.net

7分間の期待と不安 火星探査機ー着陸まで米国時間であと1日

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火星探査機パーサヴィアランス ー Mars 2020


 

さあ、2月18日ついに火星に着陸します。

7分間の期待と不安というのは火星大気突入から着陸までの7分間のこと。

(下記のリンクしたビデオ参照)

ひとつひとつ、段階の全てがうまくいかないと、失敗ということにもなりかねません。

まず、地球から7ヶ月かけてやってきた宇宙船からの切り離しが大気圏突入の10分前

大気圏に突入すると時速約二万キロの速さで大気圏を惰行し、円盤型の熱シールドによる摩擦がブレーキをかけ、十分に速度が遅くなったところでパラシュートを開きます。

目的地のジェゼロ・クレーターは大昔、水をたたえていたと思われ、もしかするとその時代に生きていたかもしれない微生物の痕跡か化石化した微生物がみつかるのではないかと科学者たちは考えています。

ただし、ジェゼロ・クレーターへの着陸はとても困難です。

そこで機体がある程度安定したら熱シールドを切り離し、ローバーの底のカメラと最新のエントリーガイダンス・システム(Terrain-Relative Navigation)を使って、地上の様子を観察しながらクレーターの端の絶壁や大きな岩などを避けて、平坦ではあるが興味深い場所、着陸に最適な場所を探します。このカメラを使ったテレインーレラティブ・ナビゲーション・ガイダンス・システムでこれまでに着陸が不可能だった場所に無事に着陸することができるのです。

着陸に危険な場所ほど科学者たちが望んでいる興味深い場所なのです。

着陸に最適な場所の検討がついたらここまで運んでくれたスーペース・クラフト(宇宙船)からローバーを抱いた着陸用ロケットが切り離され、4つのロケット噴射(姿勢制御装置)で地上約20メートルのあたりまで降下し、そこからはスカイ・クレーンがローバーをそろそろと降ろします。

着陸が完了すると、着陸用ロケットはクレーンを切り離しローバーから離れたところへ飛んで行きます。

この不安の7分間を乗り越えて初めて、火星探査を始められるのです。

 

 上記のビデオはシミュレーション・ビデオですが、是非みなさん、18日(日本時間の19日)本物の探査機着陸を観て一緒に興奮しましょう。

*1

 

でおさらい:

火星探査機パーサヴィアランス・ローバー(Mars 2020 Perseverance Rover)

火星まであと約266万キロメートル、時速約7.6万キロ(現在米国時間2月17日午前5時)で順調に向かっています。

着陸の3つの段階:

1:エントリー、火星大気への突入はヒートシールドで守られた円盤型カプセルで

2:ディセント、大気中降下はパラシュートで、降下中に地上の写真をとってナビゲート

3:ランディング、着陸は着陸ロケットの4つのスラスターで制御したのち、スカイ・クレーンでの安全な着陸

 

今回の着陸にはエントリーガイダンス・システム(Terrain-Relative Navigation)を使って最適な着陸地点までナビゲートすることができる。

 

注目すべきは搭載されたマーズ・ヘリコプターと酸素製造装置:

マーズ・ヘリコプター、インジェニュイティはテクノロジーデモンストレーションとしてローバーに搭載されており、ローバーのお腹の下にデブリ・シールドで守られている。ローバーが無事に着陸したあと、このデブリ・シールドが外れて、たたみこまれていたヘリコプターが展開してローバーから外され、プロペラの上についているソーラーパネルで充電したら、飛べるのだ。だけどまず、ローバーが動いて少し離れたところまで行き、約2時間後にローバーから「起きろ〜、起きてローバーの写真をとって」という信号もらうことになっている。

それが火星時間の午前11時ごろ。火星の大地がまあまあ暖かくてフライトには最適なのだ。ヘリコプターは1分30秒しか飛べない。しかも充電にだいたい1日かかる。

このマーズ・ヘリコプターは10数年前にアイデア・コンセプトがあった。そして今度ついに火星の上空を飛ぶのだ。火星の大気は地球の約1% 弱でとっても薄い。この薄い大気と地球より少ない重力(3分の1)それに平均気温マイナス55度という極寒に対応するように開発されたヘリコプターが飛ぶ瞬間を見てみたい!

 

小型酸素製造装置モデル:

火星の大気は95%が二酸化炭素。この二酸化炭素から酸素を取り出す装置がMOXI(酸素製造装置)だ。

二酸化炭素という物質は一個の炭素原子に2個の酸素原子がくっついているのだから、2個の酸素を取り出せるはずではある。 だけどそう簡単にはいかない。2個の酸素と一個の炭素の結びつきはとても強い、だから、まず酸素を一個だけ、ちょうだいね、といって二酸化炭素一酸化炭素にして、酸素原子を一個だけもらう。これはそんなに難しくない。800度の温度で二酸化炭素を「どうだ、暑いだろう」と脅してやると、二酸化炭素は互いにぶつかり合って「これはたまらん」といって酸素を一個離してくれる。薄い大気だけどその95%が二酸化炭素だからこの装置で酸素を作れる。1時間で約10グラムの酸素を作れるそうだ。酸素製造が成功してこの技術が確立すれば、いずれサンプルリターンのロケット燃料の製造、そして宇宙飛行士たちのライフ・サポートが確実なものとなる重要な実験だ。

 

下記のリンクはGoogle翻訳を使ってね。

*2

 

着陸イベントのリンク:

*3

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タックスリターン 税金申告のシーズンがやってきた

 

またまたきました。

アメリカ税金申告の季節です。

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梅の香りも楽しめず、税金申告にいそしむ立春

   梅の香や

   凍みて ほころぶ 

   キサラギ

   税金深刻 の

   時は来たり

 

毎年うちの庭の梅の花がほころびる如月

この時期になると働いている会社や銀行

学生ローンやモーゲージ(住宅ローン)会社

医療保険会社などなどから

様々なフォーム(書類)が届く

働いている会社からはW2: 

 ダブルトゥーというのは

「会社が、あなたは去年、こんだけ稼いで、こんだけ税金を前払い(源泉徴収)しています」というフォーム(書類)で

そのその内訳は連邦政府と州政府にどれだけ払って、

連邦年金にいくら払って、

メディケア(公的医療保険制度)税金にいくら払って、*1

会社のリタイアメント・プラン(グループ投資401k)に払った額などなどが

記録された一枚の紙切れ

学生ローンや住宅ローン会社からは、私が去年1年間に払ったローンの金利

銀行からは、

あなたは貯金が少しもないので貯金の金利はちっとも稼いでいませんよ、というお達し。

大抵一枚か二枚の紙で税金申告に必要な数字書類がぜーんぶ届いたら、

さて申告始めようかな、となる。

長年、タックスアクト(TaxACT)というオンラインの申告ソフトを学生時代から使用している

学生の頃、クリントンが大統領だった頃はまあ、ちょっと懐が暖かくなる税金が返ってきた。

よく、この返ってきた税金で娘と小旅行に出たものだった。

また

50歳をすぎての妊娠治療にかなりの医療費が掛かった年は項目別控除を医療費やガソリン代など、こと細かに割り出す価値があったけど

コロナ過でガソリン代もかかって無いし、洋服代だって子供のだけ

化粧品はもともと基礎化粧品だけだから関係ないし

トランプ税が執行されてからは金持ち以外の私たちのような中の下階級には

項目控除はもう全然意味ないし

オンラインで必要な数字をぜんぶ入れたらすぐ終わるはず。

なぜタックスリターンというのかというと、

払いすぎの税金は返ってくるから

もともと自分のお金なんだけど

一旦払ったお金が戻ってくるとなんかうれしさが違う

月々源泉徴収されたお金がいっぺんに戻ってくるのはうれしい

源泉徴収の対象額は扶養控除に基づいて決められるから

この扶養控除手当(allowance)レベルを夫は 0

私のアローワンスレベルは既婚で扶養の子供が一人ということで 2

これは月々の色々な支払いを可能にし

来年返ってくる額(タックスリターン)を最大化するため

夫のアローワンスが0というのは給料の35%ぐらいを税金で取られてしまうということ

2019年の年、月々の支払いが大変なので、夫に0にしないでと頼んだ

すると2020年のタックスリターンは無し

全然戻ってこなかった。。。。涙

というか税金が払いきれてなくて、さらに払わなければならなかった。。。。。号泣

これはキツイ。

なので夫の扶養控除アローワンスはすぐにまた0に。

さあ、今年こそは戻ってこいよ。

戻ってこなくても せめて追加の税金請求がきませんように。

と、祈る思いで申告の準備を始める

立春というのに まだまだ寒い。

 

 

 

 

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