旅する女のラプソディー

20代をニューヨークで生き、離婚して帰国、環境問題に目覚めたシングルマザーの子連れアメリカ留学。40歳で大学卒業、45歳で大学院卒業、55歳で妊娠、出産。科学を愛し、旅をつづける女の半生、高齢出産やナサ(NASA)での仕事、アメリカ暮らしのあれこれなど、など

カルメ焼きの思い出

 

さて先日、サンクスギビングということでデザート2種作った。

一つはパンプキンパイ、

もう一つはパンプキンプリン

野菜をなかなか食べない娘になんとかかぼちゃを食べさせたい

という思いから

 

パンプキンプリンは

カフェ・ショウゾウでおなじみのかぼちゃのプリンだ。

だけど、カフェ・ショウゾウのようにはいかない。

注:カフェ・ショウゾウというのは那須高原や黒磯というひなびた町から始まって最近ではトウキョウやなんかにも進出しているらしい。

 

 

まずはカラメルを作る。これがなかなか難しい。

カフェ・ショウゾウのように苦めのカラメルにしたいのだが、その美味しい苦めを出すのが難しい。

 

色だけ見ているととっても綺麗なカラメルブラウンなのだけど、いつも水を入れるのが早すぎて、ちっとも苦味が出ないのだ。

 

焦がしちゃいけないんだけど、焦がさなきゃ、苦味が出ない。

ちょうど良く焦がす、その加減が大事。

 

カラメルのなんとも言えない香りで思い出すのはカルメ焼きを夜中に七輪でごそごそと作り出す見川センセのこと。

「医者ともあろうものが」だったかな

センセの奥様が

「アンタ、夜中に何ゴソゴソやってんのよ」というくだりが浮かんでくる。

 

わたしは那須高原、それも標高800メートル以上の山の中で育った。

見川センセんっちは目と鼻の先。

 

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那須連山 写真:大沼カズヒコさんより

見川センセとは、見川鯛山先生のことで山里の小さな診療所での出来事や小さな温泉街の人々のことを

「医者ともあろう者が」や

「本日も休診」

などを書かれており、

とっても有名な釣り名人兼、医者兼、作家センセイである。

 

わたしはこのハンサムで粋なセンセに小学校から中学といつも針で刺されたり

裸をみられたりしてきた

だから、わたしとセンセはタダの仲ではないのだ。

とっても親密な仲なのだ。

 

いろんな予防接種や健康診断で、

「オメエ、大きくなったな」とか、

「母ちゃん、元気か」とか、

わたしは有名人ととっても仲がいいのだ。

 

離婚して那須の実家へ帰ってきてからも

早くにご主人を亡くされた後家さんとか、センセにご中心な友人を誘って、

なんやかんやと理由を作っては有名人のセンセの家へ押しかけた。

 

センセはわたしの師匠である。

「センセ、わたしもモノ書きになりたいんですが、

いったいどうやったら、センセみたいな文章書けるんでしょうか」

「そりゃ、オメエ、百書いたら七十は削んだ」

「削って、削って、削りきって、それでもまだ削りたんないことのほうが多い、

そういうもんだ」

この訓戒をいつも胸に、わたしは精進しているのだ。

 

わたしなんか、まだまだ、削りきれなくて

見川センセの足元にも及ばないのだ。

 

やっぱり、七輪でも買って、夜中にゴソゴソとカルメでも焼いてみないと、

ホントのモノ書きにはなれないのかもしれない。

 

 

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61歳のユウウツ

 

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おぼろげなぼやけた陽だまりの中で61歳のウツを思う ー カフェ物語


二、三日前から、マスタークラス(MasterClass)でニール・デグラス・タイソンの講座をとり始めた。このところしばらくうつ状態だったから、一体どうしたらいいかと悩んでいた時にニールの宇宙からの視点でモノを考えること(Cosmic Perspective)や、真理探究の真髄、科学の話しに触れて、ウツがいっぺんに吹っ飛んだ。

クリスチャンの人たちなら、きっとこういうだろう、「神様から離れて生きてはいけません」

私の場合は「科学から離れては生きていけないのだ」

科学する心と頭を最近、すっかり使ってなくて。主人とは喧嘩ばかり。

「あなたが、ああ言ったんじゃない」

「いや、お前がこう言ったんだよ」

ディッシュ・ウォッシャーの位置が変わったとか変わらないとか、ってことで言い合いになって。バイポーラーの夫とは結婚して10年。彼は薬で調整してるからいいけど。私は仕事にも行きづまってて、コロナで映画にも居酒屋にも行けないし。

ウツが、ウツ、ウツっと頭の真から始まって、胸の中心まできちゃってた。

6歳の子供には当たれないから、どうしたって、夫にハケ口が行く。

 

36歳で大学に入って学ぶことが楽しくて楽しくて、一生学生をやっていたかった。

モノはすっごく小さい粒のようなものでできており、その粒と粒の間はかなり広くって、だから壁を通り抜けることも不可能じゃない、まあ、実際にはかなり難しいけど。

環境学を学ぶはずだった大学では物質とその運動(Matter and Motion)なんていうかっこいいいコースをとっちゃたら、物理にはまっちゃた。っていうか、科学の手法とか、考え方、まずは、疑問をもつ、そしてその疑問に答えを出すための質問を考えるってことに感動して、そうだよなぁ、

日本人って、特に女だと、質問しちゃいけない、疑問に思っちゃいけないって

そんな時代に育ってるから、科学の考え方にゾッコン恋した。

それから、大学院へ進んで、アストロバイオロジーなんていう、またまた神秘的な学問に首を突っ込んで。

就職してからもなるべく午後遅い時間のコースを選んで、物理の博士課程の勉強した。難しいんだ、物理って。でもなんかワクワクするんだよね。だからトータルで8年ぐらい仕事しながら勉強した。

博士号とるはずだったんだけどねぇ。

男ってのは厄介だね。

結婚(再婚)したのが、51、それからもまだしばらく勉強は続けてたけど、アイ・ヴィー・エフ(IVF)っていう医療科学と医療テクノロジーの結晶を使って、子供作ろうか、ていう話になって。

統計力学のコースをとって、これはBをもらってよかったんだけど、ホルモン治療が始まって口から飲んだり、下からもバンバンホルモン剤入れて、少し太ってください、というドクターのお達しの通り、少しづづ肥えていってた頃、

日本では東北大震災が起きて、何か役に立ちたいと、放射性物質バケ学をとった。頑張ったんだけど、これはCをもらった。このクラス生徒三人しかいなかったんだから、他の二人がよく出来たってことだよね。

この続きはまた今度。

とにかく、私は科学から離れては生きていけない。

サイエンスのマインドフルで生きていこうっと。

 

 

 

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