旅する女のラプソディー

20代をニューヨークで生き、離婚して帰国、環境問題に目覚めたシングルマザーの子連れアメリカ留学。40歳で大学卒業、45歳で大学院卒業、55歳で妊娠、出産。科学を愛し、旅をつづける女の半生、高齢出産やナサ(NASA)での仕事、アメリカ暮らしのあれこれなど、など

眠れない夜にNASAの請負社員が思うこと

 

またストレスフルな時期がやってきた。もうすぐフライト機器の検査に入る。検査が完了するまでに次のポジションを探さなければならない。

 

NASAアメリカ航空宇宙局)はシビルサーヴァント、いわゆる連邦公務員とコントラクター(請負社員)とでなっている。

 

私はコントラクターで、ミッション・プロジェクトのたくさんある中の一部のタスクを担っている。

 

ミッション・プロジェクトというのは大雑把に言って、コンセプト・デザインステージ、予算取り、開発ステージ、開発機器(いわゆるダミー)の検証と検査テスト、開発ステージのすべてのパーツの統合(インテグレーション)。統合システムの検証と検査。この検査をパスするとやっとフライト機器(実際にロケットにのせて打ち上げる)機器パーツの製造が始まり、パーツごとの検証と検査を経たのち、全てのフライト・パーツをスペースクラフトにインテグレーション(統合)して、さらに検査テストを行い、これをパスすると打ち上げの準備完了ということになる。コンセプトの立ち上げから打ち上げ準備完了までかなりの時間がかかる。

 

私の仕事は検証と検査。このタスクを完了してしまうとまた流浪人になる。現在はちゃんとしたコントラクター会社の社員として働いているので、この会社が次のポジションを探してくれる、はずだけど。

 

以前は大学から派遣された請負科学技術者をやっていたので、いわゆるソフトマネー、プロポーザルを書いて資金を集めて研究開発をするというホントの流浪人だった。でも私はPh.D(博士)ではないので自分の名前ではプロポーザルを出せない。誰かバックアップしてくれる博士を見つけてその名前で出す。

以前大きな惑星探査のミッション応募に2つぐらいプロポーザルを出したがダメだった。

 

NASAのミッション応募にプロポーザルを出すためには、まずNASAの科学オブジェクティブ(達成すべき科学目標)を読み込まなければならない。科学目標というのは例えば、「太陽系の成り立ちを知りたい」そのためにはどんな研究調査したら良いのか、太陽系の成り立ちを知ることでどんな貢献ができうるのか、など。このオブジェクティブを踏まえていないと、まずプロポーザルとして認めてもらえない。

 

オブジェクティブ踏まえてると思ったんだけどねぇ。

まあ、プロポーザル通ってミッションのPI(プリンシパル・インヴェストゲーター)になれる科学者なんてほんの一握りだよね。

 

私は論文なんて数えるほどしか書いてないし、これまで科学研究の発展に寄与してきてないしなぁ。

 

だから、研究職から検証と検査の仕事に移った。

人生、色々あるよね。

うちの母親によく言われたよ、

おまえ、結局、何一つ、幕がとおってないって。

 

そう、私は若い時から、一つのことをやり通すということができない、というか

他にやりたいことが出てきてしまうんです。

 

東京で商社に勤めて、親との約束の3年間を勤め上げたので会社辞めて、

役者になりたいと思って、当時はまあまあ有名だった若城希以子

いや、今ウィキ見たら、この方ホントに有名だったんだね。

*1

長野の白馬の友人の紹介でこの若城先生に書生として弟子入りしたのが21ぐらいだったかな。朝4時に起きてまずお風呂を沸かして、

「先生、お風呂が沸きました」と先生を起こす。

それから、朝食などすませて

お稽古

ある時、渋谷のNHKに連れて行っていただいて、

森繁久弥さんなどにも紹介してもらって

森ミツコさんなどにもお会いして

いずれは文学座に入れてやるからと

言ってもらっていたのに

 

私の大好きな宮沢賢治を「あれは文学ではない」

と先生に一括されて、

辞めちゃった。

 

私の顔は十人並みだけど、まあ文学座に入りさせすれば

と先生は言っていたのに

辞めちゃった。

 

これが私なんだね。

 

なんか、60過ぎて

アレも、コレも、

あの時、こうしていたら

今頃は どうなっていたんだろう、てことがたくさんある。

さて、NASAでの仕事探し、また頑張らなきゃ。

f:id:Astromoko:20210202191821p:plain

NASA JWST 宇宙望遠鏡の前で - 開発中のジェームスウェッブテレスコープ

前列、赤いシャツを着て髪の長いのが私

 

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*1:若城希以子:

若城希伊子 - Wikipedia

61歳のユウウツはつづく

わたしは36歳で大学へ入って

大学院を卒業したのが45歳

大学院ではアストロバイオロジーという

ロマンのかたまりのような学際の勉強をして

修士をとって卒業

あれから15年だから

本当ならキャリア積みの真っ只中のはず

47で物理の博士課程に入れて

フルタイムで昼間仕事しながら

少しづつコースワークこなして

何年かかってもいいから

博士号とってやろうと

どんなふうに宇宙が始まったのか

太陽系はどんなふうにして出来上がったのか

宇宙人はいるのか

とか 知りたかったから

 

なるべく午後遅い時間に始まるコースをとって

仕事に支障がないかぎり ボスも応援してくれてた

2011年の福島第一のことがあった後には

学部外だけど核化学のコースをとった

このコースはクラスメートが三人しかいなくて

博士課程始めてから 初めてCをもらって

ショックだった

大抵はB、ともするとAマイナスを取れてたのに

博士課程の勉強は仕事しながらにしては順調だった

勇気を出して仕事半分にしてもいいから

ちゃんと博士号とっておけばよかった

もう少し若かったら

たとえ子供ができても

勉強続けられたのかも

アリゾナ州立大学の大学院で一緒だった仲間たちが

みんなナサの惑星探査や月探査の大役を担っているのに

わたしはキャリアを積めなかった

アイ・ヴィー・エフ(体外受精)の治療を始めた時はまだ52だったから

子供ができたってなんとかなるって思ってた

まさか4年もかかるとは

子供を作ったことを後悔してない

6歳になった娘はほんとに可愛い

この子のおかげで 私たちは毎日 笑っていられる

 

ただ ときどき

ちょっと

 

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空母いぶき

今、テレビ・ジャパンでクリスマスの夜に録画しておいた「空母いぶき」をみた。

日本はまだ大丈夫なんだ。

*1

 

日本では憲法改正が叫ばれているようだけど

みんなが

普通の国民のみんなが

そして、映画の中の政治家のように

本当にこんな風に考えられたら

「もう 絶対に戦争はしない」

日本はまだまだ

だいじょうぶ

自衛隊 カッコイイ

うちの主人のエリックも

かなり感動したようで、

今日は朝から早速シャワーの修理に取り掛かっている。

ぜひアメリカの人たちにもみてほしいな

 

ニッポンへ

帰ろう

*1:空母いぶき;

kuboibuki.jp

科学者とは

 

科学者とは

 

たとえ

自分の発見が正しいと信じ

 

たとえ

自分の理論が正しいと信じていても

なお

真摯な態度で

2重、3重に見極めようとし

 

立証する方法をも模索し

真摯な態度で

何度でも検証し

証明する

 

それが科学者では

ないでしょうか

 

だから、

科学者は

あるいは科学者的マインドセット

プロジェクト・リーダーになっちゃ

ダメ

科学者は

プロジェクト・マネジメントしちゃぁ

ダメ

 

NASAのミッションで2重、3重に

立証なんかしてたら、

予算なくなっちゃうんだから

 

予算なくなっちゃったら

テスト時間の縮小

立証試験の縮小

ってことになって

一日24時間

土日も返上で七日間かけて

フライト機器のテスト

しなきゃならないんだから

 

もっと適材適所考えてよね

NASAのお偉いマネジメントさんたち

 

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憧れのアメリカ

 

夢のアメリ

 

憧れのアメリ

 

私が26歳の時に移民した

 

あのアメリカはどこへ

 

大統領選挙はジョークと化し

暴徒が議事堂になだれ込む

民主主義って何?

民主主義はどうしたの?

夢の移民の国

みんな移民として

ホントに底辺の底辺から生き延びて

夢を掴んだり

成功したり、

何か確かなものをつかもうと

それは、とにかく安全な生活だったり

私のように科学にハマったりするためだったり

フードスタンプをもらう生活からの脱出だったり

ヒトとしてのまともな生活を求めてだったり

ただただ民主主義という旗の元で暮らしたい

難民を受け入れてきたアメリ

奴隷解放もやってのけたのに

コロンバスの発見から

先住民に対する敵対も

法のない時代も超えて

たった200年足らずの歴史の

自由と人権

宗教の自由

表現の自由

守られすぎてきた自由は

銃を持って人を殺める自由でもあるのだ

抗議デモには爆弾を使っても良い自由なのだ

個人の主張のためには他人の命を犯しても良い国

となってしまった

どうして

どうして

パワーマンガー (Powermonger) で溢れかえってしまった大陸

マネーマンガー (Moneymonger)が溢れかえってしまった大陸

溺れないようにもっと

政治力を掴め

溺れないようにもっと

お金を集め

インポックスは政治募金のメールで溢れかえってしまった

難民も溢れかえってしまった

バーニーサンダースはどこへいったのだろう

もう民主党も何もない

ゴアを大統領にできない国なんだ

クライメット・チェンジも信じない国なんだ

どんなにハリケーンが起きても

山火事が美しい森を焼けつくしても

コロナで人々が死んでも

民主主義のアメリカはもう

どこにもない

 

 

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風つうしん 復活

 

今から25年前の1995年7月、七夕の日に日本を出た。

13歳の娘と私、そして犬のケンケンを連れて再びアメリカへ。

環境学の勉強をしにワシントン州オリンピア市にある州立のエヴァグリーン大学に入るため。*1

オリンピア市はワシントン州のキャピタル(首都)で太平洋に面した静かな街。パシフィックノースウエストに位置するワシントン州シアトル市から車で1時間ほどの南に下ったピュージェット湾の一番奥にある街。秋になれば鮭も上がってくる。

 

直行便でシアトルまでのはずがアニマルカーゴの空調が効かないということで変更になったフライトはロス経由で、

このロスでの乗り換えは大変だった。国際線から国内線への移動は空港の外。

ロスの太陽が容赦無く照りつけるコンクリートの通路とも言えないビルの傍をスーツケースや段ボール箱、そしてケンケンの大きなクレートを積んだカートを押して歩いた。娘がとても不安そうだったのを覚えている。

 

無事シアトルに到着そこから車で南に1時間ほどのオリンピア市で暮らし始めた。

私はその近況を一枚のリーガル紙に「風通信」と題して日本の友人や恩師に送っていた。1、2ヶ月に一度、リーガル紙いっぱいに、

無事アパートに落ち着きました。仕事探し中です、

なかなか仕事見つかりません、とか。

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無事アパートも見つかって落ち着いた日。

近くにあるターゲット(ディスカウント・デパートメントストア)で安い折りたたみ式のテーブルやイスを買って食器などは全部グッドウィルというセカンドハンドのお店で揃えた。

犬のケンケンはこの時6歳(犬の年齢だとすでに中年)

なんとお行儀の良い犬なんでしょう。

娘が何かおやつでもお皿にもるのをちゃんと待っています。

八月末に、中学生の娘はアパートから歩いていける中学校に入学。当時ワシントン州ベトナムラオスなど東南アジアからの難民を受け入れており、アジア人はたくさんいたけれど中学校に日本人は彼女一人。

ベトナム人ラオス人に混じって第二外国語ESL)としての英語クラスで英語の習得が始まった。ニューヨークで生まれたとは言っても6歳で日本に帰国してからは私が友人と開いた英語塾でちまちまと習っただけだから、かなり忘れてしまっていただろう。

クラスメートがみんな母国語で喋ってばかりいる中で彼女は一人頑張っていた。

離婚してニューヨークから日本の実家に帰った時も彼女はきっと大変だったに違いない。小学校から泣いて帰ってきたこともあった。この時はクラスのみんなの日本語がすぐには聞き取れなかっただろうし。

マンハッタンのイーストヴィレッジにあったデイケアで一番活発でおてんばだった娘は田舎の小学校でだんだんシュンとしていったのかもしれない。*2

当時の私にはそれを思いやる余裕がなかったのだろうか。「泣くんじゃない」と逆に叱咤したように覚えている。当時の日本、しかも田舎では子連れの出戻り、シングルマザーにはまだまだ居場所がなかった。

それでもだんだん友人もできて、いろんな人たちに助けていただき、シングルマザーの生活は落ち着いていった。娘のクラスメートの親でもあった工務店の友人と、高校時代の友人に助けられて塾を開こうということになった。高校時代の友人が数学を担当し、私が英語を担当するということになり、小さいけどとても立派な8畳ぐらいの塾を工務店で建ててくれた。トイレ付きで窓がたくさんあり、六人ぐらいが楽に座れるテーブルとホワイトボードも用意してくれた。工務店の友人には不義理をしてきており、機会があったらぜひ一言お詫びと感謝の気持ちを伝えたいと思っているのだが、あれから25年もたった今、行方が掴めない。

当時、私は若かったとはいえ、今になって人の恩というものが、身にしみる。

那須高原教会の牧師夫妻にも本当にお世話になった。このことはまたあとで詳しく書きたい。

だから、風通信はこの那須高原教会と幾人かの親しい友人に向けて発していた。*3

 

オリンピア市に落ち着いて4ヶ月後、私は無事仕事を見つけた。

幸運にも新聞の求人広告に「輸出入(Import/Export)コーディネーター募集、サイツ・ジャパン(Sight Japan, Co, Ltd)」とある。これは当然、日本語が話せたらゼッタイいけるだろう。

早速、面接。

車で15分もしない隣町の普通の家、事務所というのはボスのオフィス。ボスの名前がもう思い出せない。思い出せるのは彼はネパールで20年ぐらい宣教師をしてきて引退してアメリカに帰ってきたことぐらい。ネパールで宣教と聞いてとても親しみを感じたのを覚えている。私も1989年にネパールに旅をしている。

即採用が決まって、次の日からコスコ(日本ではコストコというらしい)やサムズクラブ(ウォルマート)などの大型ディスカウントショップで商品リサーチが始まった。

それからしばらくして日本からのバイヤーの案内、商談の通訳、輸出入コーディネーターとしての仕事が始まった。

シカゴの国際トレーディング・ショーなどにも出張し、仕事は楽しかった。

当時日本はバブル好調期でバイヤーはしょっちゅうやってきた。私も一度日本の本社に呼んでいただいて、山形の当時ジョイ(JOY)と言っていたホームーセンターの見学などをして、社長や部長などとカラオケなどに行って楽しんだ。実はこの社長もネパールで宣教師として働いていたらしい。もちろん、ちゃんと仕事もした。日本にあってアメリカにないもの、あるいはアメリカにあって日本にないものなど、売れ筋や確実商品などの調査。

当時、木酢液というのがまだ炭焼きの盛んなアジアのどこかの国から日本に入り始めていた。木酢液は炭を焼いた時などに抽出できるエキスで土壌の改良や防虫剤として効果がある。当時はまだアメリカにはなかったと思う。インターネットが今ほど普及していなかったころ。

*4

次の年の秋、私は無事大学に入学した。仕事をパートタイムにして。

エヴァグリーン大学はトライメスターという学期制になっていて春、秋、冬学期、そしてサマーコースもあった。確か冬学期を終えたころ、奨学金が入るようになって仕事はやめたように覚えている。

 

これから、またこの通信を復活できたらいいなと。

今度は見も知らぬ人たちにも向けて。

何か発信できたら、と。

 

 

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*1:大学入学などについてはいずれまた「子連れ留学珍道中」で

*2:娘は現在三児の母となりNPOを立ち上げて代表を勤めている - NPOCollaborative Cataloging Japan:

https://www.collabjapan.org/

*3:那須高原

那須高原教会|クリスチャン情報ブックWEB

*4:サイツジャパンとは当時の株式会社JOYの子会社:

ジョイ (ホームセンター) - Wikipedia

コロナ禍の中で思うこと

 

 

アメリカでは今現在、コロナ感染者数が一億三千万人を超えようとしている。

そして死者はその2%。2%ということは百人に二人が死んでいっていることになる。

アメリカのみんな、本当にこの実態、わかっているのかな。

 

マスクをしない自由をうたっているアメリカ人がいる。

アメリカでは人権の要素として宗教の自由、言論、表現の自由が認められている。

マスクをするか、しないか、は

好きな服装をする、のと同じことで、したくないから、しないのだ。

だけど百人に二人が死んでいっている事実を知らないのか、

無視しているのか、

それともこれはフェイク・ニュースだとでも思っているのだろうか。

多分そういう人たちはジョンズ・ホプキンス医科大学のコロナマップを一度も見たことがないに違いない。

赤い丸がどんどん大きくなってアメリカ中がもう真っ赤なのに。

 

多分、日本には表現の自由を主張して、「マスクはしたくない」

なんて人はいないんじゃないかな。

だってコロナにかかったら死ぬかもしれないし、

他の人たちに移してしまうかもしれないし、

 

私の大好きなアメリカはどうしてしまったんだろうか。

自由で快活でどんな人も受け入れる懐の大きいアメリカ。

シングルマザーでも大学へ入れて、学生俸給ももらえて。

苦労するけど、苦労しがいのある、

夢を叶えることが可能な国、

アメリ

 

f:id:Astromoko:20201128221435p:plain

ジョンズ・ホプキンス医科大学コロナ感染マップ ー

coronavirus.jhu.edu

 

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